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2020.12.10

おおきな地平

とてもとても、ご無沙汰してしまった。みなさまお元気だろうか?風邪引いてないですか?

私はというとここ数日パッタパッタして…いったい何にパタついていたのだろう。年末というバケモノに化かされていたのだろうか?

 

 

 

 

 

さいきん、よくバスに乗る。

バスはもともと得意ではない。小学生の頃、祖父母の家の近くのバス停まで行こうとして、バスを乗り違えたことがあるから。

バスは私の知らない道をすすみ、知らない街中にたどり着いた。その時のこころぼそさが忘れられずに、

それ以来私はバスを避けるようになった。

 

この歳になってようやく不安なくバスに乗ることができるようになり、たいせつなことを思い出した。

 

そのとき、終点の見知らぬバス停に着いて泣いていたわたしを助けてくれたのは、

そのバスの運転手さんだった。

わけもわからず泣きじゃくる私に千円札を何枚か握らせて、タクシーに乗せてくれた。

 

どうしてこんなたいせつなことを忘れていたのだろう。

バスに乗る恐怖に気をとられ、息つく暇もなかったからだろうか。

…ではなぜ、いまになって思い出すことができたのだろう。

 

そのとき、どうやって帰ったのか、祖父母の家までたどり着いたのか、ほとんどの記憶は煙に巻かれたように消え去っている。

でも、あの運転手さんは、私の空想の産物などではない。

じぶんにとってたしかなことは、消えない。

あんなに深い安堵を、いまも私は知らない。

 

見知らぬ場所、帰り道もわからないようなとおい場所(いまかんがえればそんなにとおい場所でもないのだが。でも当時の私は一生家には帰れないとおもった)が、

そのひとの存在によってただの「とおい」場所ではなくなった。「とおく」は「ちかく」になった。

 

いまでもまだ、バスに乗ると不思議な感じがする。

窓の外に、小学生の私がまだ歩いているような。

 

窓にうつっている景色に、ふれることはできない。

指を伸ばしても、それが外にあるものなのか内にあるものなのか

結局知ることができずに私はバスを降りる。

そして、そこはいつもの場所なのだ。見慣れたバス停なのだ。

 

わからない。でも。その過程をたどるとき、たしかに私は深い安堵をおぼえている。

不安な思い出、思い出したくない苦い記憶のはずなのに不思議だ。

 

12月を歩く。色を足しながら歩く。そこに、いつかの私の影がかさなる。

影がのびる。のびて次の場所に届く。そこはとてもおおきな地平だ。

 

 

どうしてなのか書くつもりだったこととまったくちがうことを書いてしまった。またすぐに更新します。風邪引かないようにね!かいちょ

 

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色を足し足し。

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心の風邪に ハイパーボール

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冬。まるいものがやたらたべたい。

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やさしい。かわいい。つよい。

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