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2020年7月17日 (金)

そっと出発する

久しぶりに空が高くて、とても青かったので、そとに出た。ちかくに海があるので、行くところがない日はかならずそこに行く。きょうは、訪問者と連れだってすこし歩いた。ながかった雨の季節が明ける。なにかがおわることを目撃するのは、ただごとではないから、できるだけ目をこらしてみていたいとおもう。まばたきのあいだに、おわってしまうこともあるけど。

おわりをみようとするとき、そとにあったかなしみが、はいってくることがある。分厚かった壁がとれる場所をみつけて、そこからは行ったり来たり、上がったり下がったりできる。そのひとつの場所は、灯台みたいに光っている。凹んでいる。でっぱっている。

灯台をじぶんでみつけること。

 

 

諸君は僕を、「ほがらか」でないといふ。

しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」なんぞはおやめなさい。

 

ほがらかとは、恐らくは、

悲しい時に悲しいだけ

悲しんでいられることでせう?

 

されば今晩かなしげに、かうして沈んでいる僕が、

輝き出でる時もある。

 

(『汚れっちまった悲しみに・・・』集英社文庫 「酒場にて」より抜粋)

 

 

中也の、未刊詩篇の、この詩が好きで、何度もなんども、繰りかえし、読んだことがあった。

Doではなく生きたいし。おりたいし。そのひとがもうどれだけとおくても、こっそり誓えるのは誓える。

言葉にはならないたたずまいで居たら、そしたら虫っころがからだのなかで膨大して、ちいさいことがいっきにふくらんできて、それはもう、ものすごいちからで。それで反転を繰りかえしながらさらにその先へと向かっていって、うたをうたう生きものになった。

見送りはなく、じぶんで日をえらんで出発する。そしてわすれないために。そのためにひとりでいる。

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夏が窓のそとで揺れている

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