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2020年7月

2020年7月29日 (水)

小屋はもう建っている

ものすごいポーズで寝ている、おおきくなったいもうとをみて、ちょっとまえに旅先でみかけたふるい小屋のことをおもいだした。

ぽつりと無造作に佇む姿が、目にはみえないたくさんのものをうつしているみたいでやけに惹かれた。

旅に出られないせいか、気がつけばまえに旅したときにとおった道を、あたまのなかでたどっていることがある。その道ははじめ、じぶんよりもうしろにのびているのだけれど、目をとじてたどっていくうちに、いつのまにか、それがそのままじぶんの前にもひろがっていることに気づく。わたしが道をそのままとびこえたのか、道そのものが移動したのか。それとも、そもそも道など存在しなかったのか。

どこにも行けないことが、どこにも行けないほうへと向かうのではなくて

どこにも行けないということがそのまま、どこにでも行けるということになりうる場所

をさがしている。

 

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この一か月ちょっとのあいだ、テレビで観る野球がほんとに救いだった。かいちょ

 

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2020年7月25日 (土)

短歌シリーズ8

七月を追いかけるのはやめにしてつぎの地平を、みにゆくのだよ


どうしても声がききたい午後三時 世界に耳をおしあててみる


あなたとすれちがったときにふいた風がわたしをどこまでもはこぶ


金色にそまった雲が泣きおえたあとのポストにとどく返信


わたしたいものをわすれてきてしまいなにもないのにわたしはあるく


一度きり出会ったそれは灯台でした ここに光が満ちる真夜中


わたしたち出会ったころとおなじゆめいまもどこかで描きつづけてる


それなのにラッパの音は鳴りやまぬ くりかえし世界を抱く和音


 

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2020年7月22日 (水)

いいとわるい

じぶんがうごいていると静止しているようにみえるものが、

立ちどまってみれば不思議と

ものすごいはやさで流れていく。

あっぷあっぷとなる。

つまりわたしは迷っていました。

ここで生きていくことをなんとなく決められずにいて

どこかに行けばなにかがあるとおもっていたのだけれど

そうではなかった

それがもう百年ぐらい

ずっとつづいている

じぶんがなにかDoすることに必死であせって

いまある状況とか幸せとかをみようとしてなかった

そこでわたしは

いいとわるいをかんがえて

それをかんがえてもうすこし

いまのじぶんときちんと向き合ってみようとおもいました

いいとわるい

それにかんしてはたぶんずっといつも

じぶんのなかにあったから

そともなかにあったから

そともなかもなかったから

わたしはわらってしまった

わらってころげて

どっかにいってしまった

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クルマから降りると、ちかごろまいにちレインボートカゲ?に遭遇する

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なんだか勇気をもらう

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2020年7月17日 (金)

そっと出発する

久しぶりに空が高くて、とても青かったので、そとに出た。ちかくに海があるので、行くところがない日はかならずそこに行く。きょうは、訪問者と連れだってすこし歩いた。ながかった雨の季節が明ける。なにかがおわることを目撃するのは、ただごとではないから、できるだけ目をこらしてみていたいとおもう。まばたきのあいだに、おわってしまうこともあるけど。

おわりをみようとするとき、そとにあったかなしみが、はいってくることがある。分厚かった壁がとれる場所をみつけて、そこからは行ったり来たり、上がったり下がったりできる。そのひとつの場所は、灯台みたいに光っている。凹んでいる。でっぱっている。

灯台をじぶんでみつけること。

 

 

諸君は僕を、「ほがらか」でないといふ。

しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」なんぞはおやめなさい。

 

ほがらかとは、恐らくは、

悲しい時に悲しいだけ

悲しんでいられることでせう?

 

されば今晩かなしげに、かうして沈んでいる僕が、

輝き出でる時もある。

 

(『汚れっちまった悲しみに・・・』集英社文庫 「酒場にて」より抜粋)

 

 

中也の、未刊詩篇の、この詩が好きで、何度もなんども、繰りかえし、読んだことがあった。

Doではなく生きたいし。おりたいし。そのひとがもうどれだけとおくても、こっそり誓えるのは誓える。

言葉にはならないたたずまいで居たら、そしたら虫っころがからだのなかで膨大して、ちいさいことがいっきにふくらんできて、それはもう、ものすごいちからで。それで反転を繰りかえしながらさらにその先へと向かっていって、うたをうたう生きものになった。

見送りはなく、じぶんで日をえらんで出発する。そしてわすれないために。そのためにひとりでいる。

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夏が窓のそとで揺れている

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2020年7月14日 (火)

朝に豆をたべたよ

ひさしぶりにはじめっからブログを読みなおしてみた。けっしてマメとはいえない頻度で地味に更新してきたこれもちりつも理論で、どっさりとまではいかないが、両手にかかえるくらいの記事がならんでいる。読みかえすとやっぱりはずかしい。なんて青いんだ・・・!とおもうものや、じぶんでもわけのわからん文章ばかりで、とてもはずかしい。

でも、淡く前向きなブログになっているのではないかな。

むかしに書いたものを読んで、(よくもわるくも)なんだこれは!とおもえるのは、よいことなのではないだろうか。意に反して旅から戻らなければならないようなときにも、あるいてきた道が、ちゃんとつぎに行く勇気をくれるような気がする。やっぱり毎日、勇気が必要なのだ。

気がついたら、糸巻きをたぐりよせるみたいにして、みつからないはじまりをさがすみたいにして、じぶんの書いてきた記事を読んでいる私がいた。読みながら、なにか失うことを知りたい、その感触をずっしり受けとめてみたいとおもっている私がいた。

朝、いもうととふたりで豆をたべた。それぞれ、そんなにたくさんではない豆を小さな皿にとぱぱとうつして、ひとつずつつまんでたべた。ふたりとも集中してたべていたはずなのに、とつぜんいもうとのゆびさきから豆がひとつぶとびだした。それをみたいもうと、とっさに「わたしみたい」だって。アネは「たしかに」とおもってしまったよ。たしかに。でも、そのとびだした豆、よくみたらなんかかわいいね。

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ちいさな漁港におおきな船が停泊していて

ドッキリ

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そして砂浜にはばら

茎からちょん切られてかがやいている

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2020年7月 5日 (日)

その一曲があれば

5月からうごいていないカレンダーをきょうの日付までいっきにめくると、みなれない海が目にとびこんできた。

どうしようもない昼間に さわがしい心に それだけがあれば という一曲がある。とつぜん壁にぶちあたったとき、ヘッドホンをつけてその一曲を聴く。

だけど事情があって、ヘッドホンをつけられないときがくるかもしれない。だからその一曲を口ずさむ練習をしておく。いつだって人前でうたうことには勇気がいるけれど、それがしぜんに口ずさまれるものだとしたら、ぜんぜんためらうことはない。そんな気がしている。それがそのまま道しるべになっていく。

口ずさむまでのほうが、むしろむずかしいことに気づく。何であれ、うごくためには、うすっぺらなかなしみでは役に立たないのだから、もっとふかくかなしんでいいのだとおもう。そこからうまれるうたを、聴いて、うたえばいい。

じっさい、ときどきおもいだしたように何かうたってみると、花が咲くみたいに気持ちが晴れて、ずっと先のほうまでひらいてくるから不思議。何度も繰りかえしうたえる、聴ける幸せ。そしてその一曲があるという心づよさ。

 

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すぐにシンパシーを感じるからね!

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恐竜のため息

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カレーもつくっているよ

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