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2020年4月

2020年4月29日 (水)

迷うこと

わたしはあまりに迷うので、ときどき迷っていることさえわすれる。迷うことに慣れたくないし、迷うときはいつも驚いていたい。迷うじぶんにコンプレックスはもちろんあるが、もうそんなこと言ってられないぐらい。とにかくまわりがびっくりするぐらい迷う。とっくにおわったとおもってもまだ迷っている。しんじられないほどの時間をかけて。だから必然的に、わたしの時計はいつもちょっと狂ってるらしい。

わたしには迷うことの秘義なんてわからない。わかりたくもない。だっていまも迷ってるから。だけど、迷うことの先に、ではなくて、迷うことそのものの中に、ときどきたしかな光を放つものをみつける。それはわたしの意思とは関係なく、思い出したようにそこにあるのだから不思議だ。空から隕石みたいに降ってくることもある。背筋が凍る。そもそも、迷いは、なにかふたつのもののあいだで揺れ動いているものではないのかもしれない。切り裂かれることはない。わたしの迷いは、迷いのままここにこうしてある。迷いが旅をさせる。だれにもハンドルをにぎられない猛スピードのボロ車のように。粉々に砕けたビール瓶のように。わたしはそれを捨てないままで、凹んだボンネットを、割れたガラスの破片をかかえてまた迷うのだ。

迷うことに導かれるごとく、魅せられるごとく迷い、ためらい、えい!と踏み出してみたりする。後戻りすることもある。やっぱりわたしは迷うことが好きなのだ。

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さいきんは畑仕事をよくします。苗を植える季節だからです。ちっこくてもふもふの生きものたちは心をなぐさめてくれます。レモンの木はなかなか大きくなりません。わたしは毎日、畑に魔法をかけます。巨大イモを掘るのが夢です。

かいちょ

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2020年4月22日 (水)

短歌シリーズ⑥

文庫本二冊で旅に出ることの代償がまだみつからぬまま


徐々にそのおもさを愛すようになる とおくの森の夜明けのように


ためらわず鳥のちかくへ行くひとにきっぷをみせてもらうという夢


あやうさとはてしのなさが背あたりでうずまいている円形の朝


窓のなかにいることにも慣れていて うごいていることだけがたよりで


背伸びしてつり革にぎる横顔はだれかに似ている、とても似ている


その瞬間あたしの胸に吹く風はきっとすべてをひまわりにする


めぐりあう瞬間まであとどれぐらい、あとどれぐらい列車はすすむの


地図はない ピンクのタンクトップひとつ 戦旗のようにひるがえすなど


寄り道をできないさみしくてただしいひとのつよさをうけとめる十五時


夜の旅にすべてをあずけてもいい。かたいリュックサックの持ち手


なにもかもたしかめにゆくための逃避行 ここにいるあたし、逃避行ちゅう


にじゅっさい すすんでゆくのがこわくって泣きだすようなこどもではない。


じぶんこそ風ではないかと思い知る 夜があまりにあたらしすぎる


まようことを愛するようにひらいてはしまる列車のドアを愛する


列車は水たまりにおぼれてTシャツの袖はやぶれてなにもかもとおい


知ることのない夏をあつめてはわすれてほんとは、泣いてたのかも


新月の星降るイヤフォンまだだれも気づいていない背中のバッジ


追記***連作(つながりがあるもの)としてつくってみました。日本には青春18きっぷというすばらしいきっぷがあって、いくつになってもつかえるというのです。鈍行列車の夢へようこそ。

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2020年4月20日 (月)

ごあいさつ

毎日ブログをひらくのだけれど、書けない。書けないときにはいつも、私だけのものではない、私なりのわけがある。だけど書きたい。はぁ。たぶん、こんなふうな言い方をしてしまうこと自体が、私なのだろう。真実を書きたい。ほんとうのことを知りたい。もういっそのこと下品なほどはっきりと言ってしまいたい。そんなおもたすぎる思いをかかえながら、こうやって書くことしかたぶん私にはできないのだ。だからできるだけブログを書こうとおもう(みてね)。

とはいっても、なにを書いたものか。ここんところ私は、いろいろなことに頭をなやませすぎて、つかれている。つかれていることにもいま、気がついた。もしかしたら誰もが、おなじ状態なのかもしれない。そんなことをかんがえながら、うう、となっている。できれば私だって、ふつうの一日をすごしたい。

言葉がはびこっている。どこか断定的な、つよい言葉がちからを持ちはじめている。私たちの、静かで、すこしためらいがちな勇気はどこへ行ってしまったのか。言葉によってふれることのできる、言葉にはならないものの世界への入り口を、私たちはわすれてしまったのか。だけどいっぽうで、にごったところでは真実はよりきらめきを増して、見つけ出しやすくなるのではないだろうか。もちろん、奴隷のように歩いているだけの道端に偶然落ちているはずもないだろうけれど。さがそうとする意志を、私たちは持つことができる。

さてさて、だけど私はげんきです。わめきちらしたりはしているけれど。なにもわからない、けれど、そのわからなさとか不安の奥へ潜る。縛られないことではなくて、そこからどう抜け出すかかんがえてみる。私たちの行く先を、時間も空間もちがった、わけのわからない場所から規定してくる、あのおそろしいものをおそれつつ、それを超えていくイメージを、持ってもよいのだとおもう。さらにその先へと行くことをのぞむならば、じぶんの頭でかんがえ(あえてこういうことばをつかう)ていくしかない。

ながくなってしまったし、読んでくれるみなさまもつかれてくるだろうから、とりあえずこのへんでやめておく。つぎはもうちょっとふざけたはなしを書きたいとおもう。さいごに、サン=テグジュペリの小説『戦う操縦士』のなかからわすれられない引用をして、みなさまへのお久しぶり、(勝手ながら)これからよろしくね、のごあいさつとしたい。

建築成った伽藍内の堂守や貸椅子係の職に就こうと考えるような人間は、すでにその瞬間から敗北者であると。それに反して、何人にあれ、その胸中に建造すべき伽藍を抱いている者は、すでに勝利者なのである。(新潮文庫、堀口大學訳)

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みーっけ!かいちょ

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2020年4月15日 (水)

ダンス

あたしはダンスが苦手だ。小学校の運動会で、ソーラン節を踊るのが苦痛だった。中学校の体育祭では、ダンスをする自分のぎこちなさ、気持ちのわるさに気が付いてしまい、ほとんど亡霊のように踊っていた。体操服を着てする踊りほどみじめなものはないと思ったものだ。それに、あたしは運動ができなかった。中学校のヒエラルキーをかたちづくるバレーボールに打ちのめされ、泣いた。体育の時間がはじまる前の、津波が押し寄せたようななまなましい下駄箱を覚えている。湿っぽくて、あつくて、むせかえる空気。あたしはそこを通るのがいやでたまらなかった。ひとりでいたかった。

だけど義務教育というのは残酷で、放っておくことを知らない。洗濯機よりも激しく、勢いのある渦に自分がおぼれてゆく感覚すらつかむことが困難だった。仕方がない、とあたしは思った。あきらめて踊った。ダンス委員があたしのところにつかつかとやってきて、手の、腕の動きがちがう、と言う。あつくて蒸れた体育館のなかで、あたしは孤独だった。あたしは中途半端だった。自分が踊りたいのか、踊りたくないのかわからなかった。

いまになってやっと思い浮かべることができる。蒸れた体育館のひんやりとした床をすり抜けて、腕を振りまわして踊る自分を。誰からの視線も気にすることなく、自在にステップを踏んでいる自分を。そして、いまのあたしならば言うことができる。その踊りはけっして下手なものではないと。あたしのものにならなかった時間があたしにそうさせるのだ。

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秘密基地公開!かいちょ

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2020年4月13日 (月)

1998年

1998年。あたしは何にも向いていないように思われた。ずっとここにいたかった。だけどいつもいつも神様はあたしに行け、さもないと二度とチャンスは訪れない、と言った。あたしは幾度となくそのチャンスを逃しつづけていた。逃す、ことがあたしにはなによりつらかった。だけど逃しても逃しても、またそれはやってくるのだった、そしてあたしはまた逃した。

ゆがんだ街の片隅に

きょうもあたしはねむってる

なにひとつさえ知らぬまま

どう考えてもあたしは幸運だった。喜劇と悲劇がコインのようにひっくりかえる午後にとりつかれながらもちゃんと、仕事をしていた。あたしは、幸運だった。すべてが上手くいっていた。

あたしはその穴を

埋めようとはしない

穴から風が吹き込んで

穴の中から花火があがる

ふたりがあまりに花びらみたいにしゃべるので、あたしは黙り込んでしまう。いつもあたしには上手く判断がつかないようなところがある。そういえば・・・までは思い出せる。

沈黙の広がり

それは自転車

まっさらなコンクリートを

切り裂く前輪

夜の川はごうごうと音を立てて、あのおそろしい香り、あの思い出せない誰かの顔のように流れている。何かに似ている、とあたしは思う。魚釣りではない。ただあのときとちがっているのは、竜がいること――昼間にしか見えないものなんて、ほんとうはないのだ。

ギリシアのあつい地面の上

住みたかった街

加速してゆくのは

雨だけではない

あたしは天気予報をうらがえしてみる。そこにはなだらかな地平線が広がっていた。魚がぴちぴちとあたりを跳ねて、あのひとが煙草をふかしている。燃え上がるような夕日はやがて向こう側へと溶けてあたりは真っ暗。からだがぎしぎしと音を立てる。

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胸を打たれたシリーズ。かいちょ

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2020年4月 3日 (金)

脱走

ヘッセの詩集を読んでいると、ついつい脱走について思いを巡らせてしまう。ヘッセの詩に脱走が出てくるわけではないのだが、彼は15歳のときに神学校を脱走し、『車輪の下』という自伝的な小説まで書いている。集英社文庫版のヘッセ年譜には、このままいけば国家の費用で牧師になれるはずであった、とも書いてある。その書きぶりにちょっとふふふとならずにはいられない。


脱走をわたしは夢見る。どこかで経験したことのあるような、どこかで見たことのあるような脱走。夕方の匂いとどこからかやってきたひと。鳴っていた音楽。わたしはビール瓶、となりのひとはウイスキーの瓶を片手に。砂漠の熱風。突然降りだしてわたしたちをびしょびしょにする雨。まっすぐなコンクリート、それから氷の上。タイヤはそんなに大きくはないけれど仕掛けられた釘の100や200を踏んだところですんともいわない。わたしを含む人々でごった返した電車、なまぬるい空気。真夜中の列車の窓に流れる月。乗客は寝静まっていて、あたりはすこしだけひんやりとする。大きなリュックサックの中から缶ビールとすこしの甘いパンをこっそり取り出す。列車のライトが熱帯雨林の森に差して、湖がわたしに反射する。望んだところで灯台があらわれて、気づいたらどこかで夕日を見ていた。桜の淡いピンクをおぼえていますよ、ハーハー言いながら一緒にフルートを吹いたことも。あの夜にほんとうは月が照らしていたことも。自分が脱走したのかどうかさえも、わたしにはわからない。

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きのうの脱走

かいちょ

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2020年4月 1日 (水)

ときめいて

弟が朝、どしゃ降りの中家を出て行こうとするので呼び止めて用をたずねると「散歩」と言う。読書、谷川俊太郎『ひとり暮らし』。雨を見ていると、穏やかな気持ちでありたいと思うのと同時に、いますぐにどこかへ駆け出してしまいたい衝動がからだを痺れさせる。そしてこの感覚が対立するものではないことにも気付く。くすぶっている感覚。雨は好きだ。

午後、部屋の片付けをすこし。越してきたばかりなので荷物がまだ散乱している。モノをたくさん持っている方ではないが、けっして身のまわりが整理整頓されている方でもない。とにかくごちゃごちゃしている。だけどわたしは運の悪いことにそのごちゃごちゃを愛してしまっている。次から次へと、おかしな布きれや雑貨が出てくる。大学時代によく旅した東南アジアで買ったであろうものや、いつ誰からもらったのかわからないようなものまで出てくる。そんなに出てくるともちろんわたしはたのしくなってきてしまう。

ポップなものや、わたしの好む色の組み合わせのもの、ちょっとエキゾチックでエキセントリックなものを見ると、ついつい足が止まってしまう。奇をてらいたいわけではないのだが、魅せられるように立ちどまってしまうのだ。だけど、そういうものを欲しがったり、そういうところに行きたがる自分がいるのは嫌ではない。どぎつい蛍光色のものも、おかしな柄がプリントされているものも、わたしにとってはときめきの対象だ。好みはそれぞれだし、自分の思うものを手に入れられないこともしばしばだが、わたしのこのかわいい想像力にもとづくあこがれは、たんなるあこがれを超えて、わたしに生きる歓びを与えてくれる。

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漁港のにゃんにゃんちゃん

なでると潮が指にくっついた。かいちょ

 

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