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2020.02.03

友達がいるのさ

ふとしたときに手についたにおいや、風にはこばれてきたにおいを嗅ぐとなぜか、いつのまにか離れてしまった友達のことを思い出す。むかしはいまよりももっと、友達がたくさんいたような気がする。「友達が少ない」ことをふだん笑い話や冗談にしている私だが、「友達は多いにこしたことはない」のではないか?とふと思う。そもそも、「友達」と「そうでない」の間に明確な境界線を引いたおぼえなども生まれてこのかたないのだが。

「友達が少ない」ことは、別にカッコイイことでもなんでもない(しかし、実際私に友達が少ないことは事実である)。私は考えた。好きなヒトやお気に入りのモノがいくつあったってかまわないじゃないか。多いといけないということはない。もちろん、好き嫌いが数字に換算されうるものでないことは言うまでもないけれど。私は、たいていの場合、においでお気に入りやその逆をも決め(つけ)てしまうので、「友達になりたい」という感覚にはけっこう敏感だとじぶんでおもっている。いつのまに、風や木と会う日がこんなに減ってしまったのだろう。彼らといるとき、私はなんにでもなれたし、なにより自由だった。その自由に方向性はない。とてもたのしい。とてもおもしろい。私はいつでも一人だったけれど、たくさん友達がいた。そしていまも、においをかぐと、風の中に宝物のような場所を見つけるのである。

いまでこそ友達が何人かできたが、そもそも、風や草や石に教えてもらわなければいまごろ私にはヒトの友達が皆無だったにちがいない。いつのまにか離れてしまった友達、ゆくえのわからないものについて考える。いつも私は一人、置いていかれたような気持ちになって泣き出しそうだ。だけど、彼らもまた置いてけぼりなのだ。置いてけぼり同士なのだ。そう思うとなんだかマンガの一コマのようにいじらしくていとおしい。「あそこに住んでいた妖精の兄弟、元気かな・・・」とか、「あの木の穴に隠しておいたセミの抜け殻どうなったかな・・・」とか、思い浮かべるとほとほときりがない。

いま彼らが、どこで何をしているのかわからない。だけどどこかで再会した時には、私たちはかろやかに挨拶を交わし、むかしのように遊ぶのだろう。

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眉間あたりの方についつい眉間あたりで話しかけてしまう…。かいちょ

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