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2020年2月

2020年2月29日 (土)

東京の空

あなたは立っていた 東京の街に ひとり

ながい間わたしが 行かなかった街

ずっと 行きたかった街

わすれかけていた街

そこにあなたは 鮮やかに立っている

その小さなからだで 都会を抱え

涙を抱え 故郷を抱えて

ここにいるあなた以外に

東京なんてないのではないか

気がつけば 雨が降っている


きょうは雨だ。午後になってもなかなか止まない。わたしには、雨の日に特別好きなことがある。それは、どこかの道端で、さびれた屋根の下で、ふいにタバコに火が灯るのを見ることだ。その小さなオレンジ色の火に心をうばわれてしまう。

 

何日か前に、ある出会いがあり、その縁、といったらよいのだろうか、何か一見すると信じがたいものがつながって、一冊の本の話になった。わたしはとつぜん飛び出したその本と作者の名前を、ずっと前から知っていた。小山田咲子さんの『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』(海鳥社)だ。そっと本をひらく。

 タイトルを一目見た瞬間から、この本はわたしのお守りのようなものだ。このひとの言葉は、どんなことを書いていても、うつくしい。純粋なのとはちょっとちがうのだけれど、ものごとをまっすぐに見ようとする眼差しをもっている。その眼差しは、知らず知らずのうちに、わたしたちに勇気を与えてくれる。考えたこと、感じたことを、恥じらいながらもまっすぐに口にできる、強さ。たどたどしくてもかまわない。まっすぐに前を向くことのできる透明さ。ものを書くということの、かけがえのなさ。そうだ、何かを書くということは、こんなにかけがえのないことだったのだ。わたしは今日も、たどたどしくも何かを語ろうと前を向いている。

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愛のつくしんぼ

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2020年2月26日 (水)

誰かにわらいかけること

きのう、久しぶりに天神に出た。歩いていると、一か月前におなじく天神で起きたちいさな出来事を思い出して、日記をめくった。


久しぶりに天神に出た。きょうはやけにビル風がつめたい。目的地に向かって歩いていると、ボロボロの自転車を押しているおじさんとふいに目が合った。このちいさな出来事はたぶん、これからもわたしの中に残りつづけることになるだろうから、こうして記しておく。これは美談でもなんでもないので、事実をそのまま書くことにする。

その後、信号待ちをしていたらそのひとが近づいてきて、「おねいちゃん」 とうしろから声をかけられた。「ハイ」 と振り向き、話をきく。そのひとはこれから九州を自転車で旅してまわる予定で、その資金稼ぎのために小さなお菓子を売って歩いているそうだ。「おねいちゃんも、ひとつ、どうですか?」なぜか、日本語がかたことにきこえる。そのひとは、まっすぐにこちらを見てくる。信号が青になり、向こうから人波が押し寄せてくる。わたしは気がついたらそのひとに「すみません。いま急いでいて」と告げていた。実際に、用事はさしせまり、わたしは急いでいた。そのひとは「そう。じゃ、また、見かけたら」と思ったより軽やかに言って、去って行った。だけど、横断歩道を駆け出してすぐに、わたしはその人のところへ戻りたくなったのだ。あたりを見回すけれど、そのひとはもうどこにもいない。泣きそうになりながら駆け足で道路を横切る。

「がんばってください」とぶきっちょでもいいからわらいかけて、お菓子を受け取りたかったのだ。たとえ自転車の旅がめちゃくちゃなデタラメでもかまわなかった。ただ「がんばって。わたしもがんばるから」と言いたかったのだ。それなのに、それができなかった。自分に正直であるということがどれほどむずかしいことか。ぐらぐらの基盤の上にはどんなものも成り立たない。誰かにすこしわらいかけることには、とても勇気がいる。

そのひとがこれから行くであろう道のわきに、ささやかな花が咲きみだれていることをせめてもと祈る。


 

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春休みになったら咲こうと決めていた

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2020年2月16日 (日)

ブック・オフに日が昇ってしまう

なんだか首のつけ根あたりが痛みます。ブリヂストンの橋を何度渡っても、名前が覚えられないのです。いつも通り名前を手首にくくりつけてやってきた彼女にどくだみ入りの紅茶をごちそうしてから食卓に着く。キノコはいつもそこに用意されていて、彼はそれを自分の子どものように大切に育てている。頼もしい霧に包まれた街の中は、おじさんと大学生のゲロでけぶり、そこを無数のトナカイの群れが横切っている。あなたはいつまで口紅を塗っているのか?もう出かける時間だというのに。おかしなリズムのクラクションがあなたを催促している。そんなに涙目にならなくてもよいのだ。きみはこの教室の中でいちばん良い鼻筋と肌のキメを持っているのだから。おまけにアクセサリィだってたくさん持っているし。土を食べ、野菜を愛し、料理の盛り付けが上手くなってゆく。ベレー帽に血をたぎらせ、パーティーの中の自分の居場所、その少しの隙間に熱狂し、自分はあの人なのだと、あのひとと同じ一部を持っているのだと。雨が降れば最悪だと言い、何度も金峰山のてっぺんから飛び降りる。自分がこれからどこに向かうのかというよりも、誰かがもうそれを知っていたのだから。だけどもうこれ以上血を出してはからだにさわります。今日はもう眠った方がいいでしょう。明日もはやいのだし。こわばった顔のまま現実を見ても現実しか見ることのできないミシシッピは流れつづける、ハックは今日もどこかで生活している。手紙がそちらまで届いたでしょうか?ああ、もうブック・オフに日が昇ってしまう。

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2020年2月10日 (月)

短歌シリーズ⑤

凧をひくことよりスリリングなことをいまもわたしは知らないままで


いつだってどこでもドアがほしいのに 今日も小舟は浮かんでいます


晴れの日にうまく笑えなくてきっと前世わたしはおたまじゃくしね


ゆるやかに踏みはずしては落ちてゆく やわらかなこんぺいとうのよう


泣き虫がなおらない大人のわたしを鬼がなぐさめにくる節分


日替わりの横断幕をひっさげて 夕暮れの街を切り裂いてゆく


たらればがわたしをうごかしはげましてどこかへはこぶ 金曜の午後


たよりない耳のなかで夕方五時のチャイムを鳴らせばなつかしい声


ポッカリとあいてしまった穴などに酢飯を詰めこむ午後三時半


 

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2020年2月 4日 (火)

立春(ブルースか 否か)

そのものを「見る」とき、自分の心の淵の部分がふるふると揺れている。

この気層の中にいくらでもかくれている透明なドアを、たやすく、そしてやさしくひらきたいものだ。

季節が変わろうとしている。今年の冬は、やけにあたたかい。大学の中庭の梅も、二週間ほどはやく咲いたみたい。めぐってくるものは私に語りかけるが、私はまだ、あるところから離れられずにいる。季節の変わり目はやっぱりくるしい。光の粒のようにまばらにやってくる香りや、二百年前の風を舞い戻らせる花びらたち、それが地面に落ちてゆく姿。それらのすべては、知っているようで知らないようで、心をなぐさめてくれる。

朝、庭の植木の葉が日に透けている。日の光はつよく、私をあらゆるところから引きずり出す。今日は電車に乗って行こう。

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いとおしい軒とたふたふの用水路!かいちょ

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2020年2月 3日 (月)

友達がいるのさ

ふとしたときに手についたにおいや、風にはこばれてきたにおいを嗅ぐとなぜか、いつのまにか離れてしまった友達のことを思い出す。むかしはいまよりももっと、友達がたくさんいたような気がする。「友達が少ない」ことをふだん笑い話や冗談にしている私だが、「友達は多いにこしたことはない」のではないか?とふと思う。そもそも、「友達」と「そうでない」の間に明確な境界線を引いたおぼえなども生まれてこのかたないのだが。

「友達が少ない」ことは、別にカッコイイことでもなんでもない(しかし、実際私に友達が少ないことは事実である)。私は考えた。好きなヒトやお気に入りのモノがいくつあったってかまわないじゃないか。多いといけないということはない。もちろん、好き嫌いが数字に換算されうるものでないことは言うまでもないけれど。私は、たいていの場合、においでお気に入りやその逆をも決め(つけ)てしまうので、「友達になりたい」という感覚にはけっこう敏感だとじぶんでおもっている。いつのまに、風や木と会う日がこんなに減ってしまったのだろう。彼らといるとき、私はなんにでもなれたし、なにより自由だった。その自由に方向性はない。とてもたのしい。とてもおもしろい。私はいつでも一人だったけれど、たくさん友達がいた。そしていまも、においをかぐと、風の中に宝物のような場所を見つけるのである。

いまでこそ友達が何人かできたが、そもそも、風や草や石に教えてもらわなければいまごろ私にはヒトの友達が皆無だったにちがいない。いつのまにか離れてしまった友達、ゆくえのわからないものについて考える。いつも私は一人、置いていかれたような気持ちになって泣き出しそうだ。だけど、彼らもまた置いてけぼりなのだ。置いてけぼり同士なのだ。そう思うとなんだかマンガの一コマのようにいじらしくていとおしい。「あそこに住んでいた妖精の兄弟、元気かな・・・」とか、「あの木の穴に隠しておいたセミの抜け殻どうなったかな・・・」とか、思い浮かべるとほとほときりがない。

いま彼らが、どこで何をしているのかわからない。だけどどこかで再会した時には、私たちはかろやかに挨拶を交わし、むかしのように遊ぶのだろう。

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眉間あたりの方についつい眉間あたりで話しかけてしまう…。かいちょ

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